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いつのころからか、父はお正月を特別視しなくなった。
どの日も特別だし、
どの日も同じ、
いつもと同じように迎えるよ、
と大晦日が近づくと念をおすように必ず口にする。
昔はけっこう、元旦の朝は全員集合、年の初めの挨拶…
なんてやってたのに。
でも、このごろ、そんな気分がわかるようになってる私がいる。
カレンダーとか暦とか、便宜上つくられただけ、
その日に何かしなくてはと思うことで自由を失ってないか、
というのが私の理由だけど。
日本人としては、
あまりお勧めできる考え方ではないかもしれません…。
そんな私でも、どうしてもこの日だけは意識してしまう、
という日がある。
この世にやってきた日。
誕生日と呼ぶ。
これはやはり記念日でしょう。
もちろん、自分で定めたわけではなく、
何かに押し出されたタイミングでその日になっただけ、
なのだけど。
365日をひとめぐりにしているのも便宜上だから、
私が出てきた日が何度もめぐってくるわけでなく、
その日は1回こっきりなんだけど、
同じ数字が並ぶときを記念日として意識するのは、
生きていくときの道しるべとして、悪くないと思う。
そして人にはもう1日だけ、特別な日ができる。
この世からいってしまう日。
でもそれは、生きているあいだに知ることはない。
それが道しるべにはなってはいけないからね。
その日がいつになるかはわからないけど、
同じ数字が並ぶ日を、私たちは必ず1年の中で過ごしている。
あらためて考えると不思議な気分。
どの日も記念日になるかもしれない日なんだ。
いってしまう日の…ね。
そういう意味でも、どの日も特別、どの日も同じ。
“毎日、今日が人生最後の日かもしれない、と考えるなら、
いつか、必ずそれがあたる日が来る…“
と、先日なくなったスティーブ・ジョブズが語っていた。
そして、だからこそ、限られた時間の中で自分の心の声を
聞き逃すなと…。
やってきた日、
いってしまう日、
そのあいだにはさまれた日々…。
どの日も大事にしなくてはね。
前回に続いて、ゆりかごから墓場まで
特別な日について思いを巡らせ、今をみつめた秋の夜。
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